バンクーバーの2年半 / Two and half years in Vancouver
iwagは2017年1月から2019年9月までバンクーバーで暮らしていました。 そのポエムです。
なんで行ったの
自分が海外行きたい、英語を使う仕事がしたいと思ったのはいつからだろう?
1 英語が好きだった
その数年前から英語学習ははまっていた。最初は友達の影響だったのだが、DMM英会話したり、TOEIC受けたり、language exchangeのmeetupに行ったり、英会話教室に通ったりもしていた。 毎日2,3時間勉強してたしね…、要は熱中していたということです。そういうことしてると、英語を実際に仕事で使ってみたくなる。
2 ミーハー
当時rebuildとか流行ってて(今もあるよ)、ベイエリアで働くゲームデザイナーの人のポッドキャストとかもきいてて、当時は海外も行ったことなかったからあこがれるじゃん。 要するにミーハーということです。 東京で5年くらいエンジニアをやって、次の会社やキャリアを考えたとき先が見えてしまったというのもある。
3 地震があって人生について考えた
地元で大きな地震があったり(実家は被災しなかったが)、人生考えるよね、そういうことあると…。 海外に行くのは早いほうがいいということもあって、自分のやりたいことを今しかできないことをやらないとダメだなーと、いつ大地震が起こるかもわからないわけで。仕事をやめバンクーバーへ向かった。 2017年1月の話。
何してたの
最初は学生をしていた。カナダ人とルームシェアとかしてリアルな Canadian Way of Life を楽しんでた。
同居人の猫。かわいい。このあと2年一緒にいることになる。
カフェいっぱいあってよい。写真はただのスターバックスなのだが…。
夏は南カリフォルニアに行った。昔の勤務先の手伝い。仕事内容も知っているし、リファラル最高。
全然都会じゃない郊外って感じなんだけどこんなとこでハイテクをしているのすごい。そして空が青い…。しかし住める気はしなかったな…100%郊外!100%社会!American Way of life !バンクーバーは住める、Portland, ORも住める。
ベイエリアの日本人って盛り上がっててうらやましいってことでバンクーバーの日本人エンジニアのmeetupとかやっていた。
1社目 Startup (parttime)
そんなこんなで現地で働かないとなーとは思っていた。周りでインターンとかしてるひととかいたしね。 学校の先生に紹介してもらったヘルスケア系のスタートアップで働くことになった。 その会社のCEOは Dragon's Den (マネーの虎の英語版) でお金をもらったりしていてちょっとした有名人だった(しかしマネーの虎ってマレーの虎のダジャレじゃん…なのに世界で通用しててすごい、日本エンタメつえーってのは北米で思うこと)。 ちなみにやることはDevOpsエンジニアらしい。AWSちょっとしか触ったことしかなかったが、Cloudformationをつかう課題を与えられ、ググったりドキュメント見てわからんなりに提出したところよかったらしい。 仕事はCloudformation使って新しいリージョンに環境立ち上げたり、 あとは、Docker Swarm の検証とかしていた。していたが!
CEOがずっと資金集めに奔走している感じで雰囲気が悪かったし、というか仕事もなかった。 新しい契約とれないと実際に環境構築する意味もないということで(じゃあなんで雇ったし)。 お金があったとしても、CEOじたいずっとリモートでチームの状況とかまったくわかってなかった感じがある。自分についていたエンジニアのメンターもリモートで、質問があってもすぐに聴ける環境じゃないのも難しくしていた。 あとその会社のプロダクトマネージャーと折り合いも悪かった。 仕事がないのでネットサーフィンしてたら "Your workload enough?" ってきかれて肝を冷やした。 が、辞める最後の日になって、そのPMに会社おかしくね?ロードマップとかどうなってるの?お金あるの?みたいなのきいたら、腹を割って話してくれていい人だった…。はやく言えばよかったのであった。
職探し
1社目のスタートアップは微妙だったので、入って1か月後には職探しをしていた。
ただ自分の経歴が Java/Scala エンジニアだったもんだから苦戦。Job Huntingは応募するだけ応募して、会社に選んでもらうというのが必勝法だと思う。スタートアップでよくみるのはRails/NodeJS、フロントエンドしかもジュニアポジションばっかってことでここでかなり数が減る。自分のようなビザにハンデがある身にとって、大手(AMZNとかのことです)はさらに上の存在で行ける気がしなかった(meetupとかでその社員とかと知り合うと紹介してあげるよ!とは言ってくれるけどね…)。
目星をつけていた第一志望のfintechはオンラインコーディングの試験であっさり落ちた…、ここよかったんだけどなー、 AppEngine(Standard Edition)のJavaとか使っていてかなり興味があった。 そんな文句も言ってられないのでGrassdoorとかIndeedで Javaとついてるものはかたっぱしから応募しまくった。とかやってたら、Linkedin経由でとりあえず電話番号教えてって電話が来た。それが次のgame studioである。
北米での採用フローは基本はCracking Coding Interviewとか参考にしてください。今はネットに情報いっぱいあるよね。
2社目 Game Studio
電話はリクルーターからで、レジュメくれとかだったと思う。即オンサイトの面接の予定を入れられた。
忘れもしない Burrard の WeWork 13Fの小さい部屋。 面接官は tech director とシニアエンジニアだけだったかな。 これまでの経験を聞かれて、それから今の課題(PHPのレガシーバックエンドコードがあるけどどうする?)について。ビッグバン的に移行するのは無理なので、壊さないようにテストを書きつつ(テストできるようにしつつ)、マイクロサービス的に分解していけばいいんじゃないですかねー。 あと、その会社の作ってたゲームの感想も聞かれた。鎌で狩るムーブがすごいですよ!!!(すいませんこれピコキャスが聞いたことのパクリです…)。 好きなゲームも聞かれたかなー、FTL。
結局この会社からオファーをもらうことになる。ただ、4月のlong weekendのときで全然連絡がこなくてやきもきしたのを覚えている…最終的にリクルーターに電話かけたしね。 これからゲームスタジオを立ち上げるところでエンジニアとして4人目。これからデザイナーだったりアーティストだったりテスターだったりが増えて最後のほうは倍くらいの人数になっていた。
この会社はほんとに思い出深い…。
- ソフトウェアエンジニアのStatusの高さ。昼からCactus Club Cafeに行っちゃう感じ。いつ仕事してるの?
- 創業の話。別業種からアイデアだけあってお金を集めてゲームを作るところとか、夢あるな…
- レイオフ(fireかも?)を体験
- 上司との別れ(fireです)
- 障害対応を一人でやりきる。今思うと一人サーバーサイドで24/7対応してたのありえんよなw
- Crunch (リリース前のデスマのことです)を体験
- オフィス移転したら同じ建物で友人が働いていて、しかも友人がレイオフされるっていう
Game Studioの感じは前あげたYouTube動画がわかりやすい。
takeaway
持ち帰ったもの。英語の力はほんとうに伸びた。伸びなかったらダメだろうではあるが。 ぼくは英語で話すトーンと日本語で話すトーンそんな変わらない。もちろん英語で話せることは日本語で話せる範囲とは程遠いし、発音とかfluentとは違うが。 冗談や軽口をたたく感じとか英語でもそつなくしゃべれていると思うし、ぼくの英語で話しているのを聴いた人にも言われる。 英語圏での相槌の打ち方とか常套句とか間接的な言い方とか伝わるように強く言い方とかそういうテクニックはかなりついた。これらは実際の名前の英語圏職場にいないとわからないものであった。
家族の大切さかなー。カナダ人はほんとーーーに家族一番にしてて自分もかなり影響されたと思う。仕事を一番にしないところとか。
(もうちょっと書く…)